じょんのかがく喫茶

厳選された至福の1杯いかがですか?

僕は漢文を学ぶことが無駄だとは思わない。

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いらっしゃいませ!
今日もいいもの用意しときましたよ!

 

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 最近、RADWIMPSの野田さんが「漢文は不必要。中国語の方がいい。」みたいなツイートをしていました。

 それに多くの人が賛同していて、なんだかなぁと僕は感じました。

 今日は僕の思っていることをなんとなく書いてみたいなと思います。

 と言っても、僕は漢文ガチ勢ではないですし、理系ですから詳しくもなんともありません。おまけに受験に必要だからと思ってやっていた身です。そんな人の意見なのでそんな意見もあるのかーって思ってもらえればと思います。

 

漢文を学ぶ意味

 いきなりですが、漢文を学ぶ意味について考えてみます。

 僕としては「言語を学ぶ」だとか「読解力を身につける」なんていうのはメインだとは思いません。

 楽しく感じる人が将来研究してくれればいいなんていうのだとも思いません。

 どうして現代においても遠い昔の人々が読んでいた漢文を僕ら読まないといけないのかというと、「日本人としてのアイデンティティを確立する」というのが大きな意味ではないかと僕は思います。

 

漢文とは何か

 漢文は古代中国の文章です。なので、簡単に言えば中国の古典みたいなものです。

 なんで中国の古典なんて学ばなきゃいけないんだよって話ですよね。

 思うに、漢文は日本で独自に進化して、もはや中国語ではなく日本語としてかつての日本人は認識していたのだと思います。翻訳するのではなく、漢字の羅列が日本語として読めるというわけです。

 まあ、言ってしまえば漢文というのは日本語だと思います。

 

読むことのない現代でなぜ必要なの

 現代ではもちろんそんな漢字の羅列を読むことなんてありません。

 それでも漢文はずっと学習指導要領に入り続けています。

 大きな理由としては

日本の文化と中国の文化を学ぶ

日本の優れた表現を学ぶ

かつての人の感性を学ぶ

これらではないかと思います。

 日本と中国というのは切っても切れない関係です。様々な文化や技術を交換しあい、それぞれの国で独自の文化へと発展させました。

 その点で日本の文化と中国の文化を学ぶというのは日本人とはなんなのかということを知る上で極めて重要だと思います。

 

 古典にもみられますが、日本人の表現力というのは凄まじいものです。古典とは違い、漢字も内容も決まっている文章をどのように日本語として読むかという技術が必要になります。

 そこに日本人らしい文章というのが垣間見えるのではないのでしょうか。

 

 今と昔では見えているものは大きく変わっているに違いありません。

 歴史の授業では昔のことを学びますが、どんな感性を持っていたのかということを学ぶ機会というのはそれほど多くないはずです。また、多くの場合、文章が読めないなどの理由で学ぼうとしてもかなりの知識が必要になります。

 しかし、漢文の場合、もはや日本語として定着している為、それほどハードルは高くありません。そのため、かつての感性を学ぶことが他の国と比べると学びやすいのではないでしょうか。

 また、古典も同時に習います。このことで日本人の感性と中国人の感性の違いを感じることができ、日本人とはなんなのかというのがわかるきっかけになるのではないでしょうか。

 

日本人とはなんなのか

 日本人ってなんなんだろうという問題に対しての答えはなんなのでしょうか?

 日本語が話せる? いや、海外の人でもたくさん話せる人はいるからそれは違うのではないだろうか。

 日本国籍を持っている? たしかに日本国籍を持っていれば日本人ではあるけども…… 例えば生まれたばかりの赤ちゃんは日本人って言えるのかな?とか思ったり。見た目で区別できないこともあるだろうし。

 

    と、まあいろんな答えがあるかと思いますが、僕は「日本の文化や伝統を身につけているか」が答えになるのではないかと思っています。

 僕の幼稚な発想ですが、国というのは歴史があって、伝統があって、その上で初めて成り立つものだと思っています。だから、その国に生きる人として文化や歴史、伝統を学ぶことは極めて大事なことだと思います。

 その大事な文化の一つが漢文ということなんだろうと思います。

 

考え方の骨組みにもなる

 日本語は英語と比べると語順が異なります。どこで見たか忘れましたが、この語順の違いにより物事の考え方に差が出てくるそうです。

 漢文も多くは英語と同じような語順だと思います。(あくまで高校範囲ですが……) そのため、漢文を学ぶことで日本人の理解解釈の仕方が身につくのではないかと思います。

 

結局、役に立つの?

 役に立つかどうかはわかりません。

 大抵のことは役に立ったと気づいた時に初めて役に立つかどうかがわかると思います。

 数学の考え方なんてまさにそうで、知らず知らずのうちに数学で学んだ考え方を日常生活の中でほとんどの人が使っていると思います。こんな定理を使って〜とかそんなんではなくどんなふうに頭を動かすかということを使っていると思います。

 漢文も同じようなことがあるのではないかと思います。それこそ、知らない熟語に出会った時になんとなく意味がわかるのは漢文のおかげってこともあるでしょう。

 

おわりに

 こんなに自分の考えを言っておきながらなんですが、僕は漢文は受験の道具として学んでました。まあ、でもそれがあって今の考え方とかもあるのかなとか思います。やって無駄なことはないですからね。

 まあ、結構ひねくれた考え方かもしれませんが、きっとこんな意味があって学ぶ必要があるんだろうなって今では思ってます。

 考え方は人それぞれです。

 まあ、とりあえず血迷って漢文を減らして外国語の授業を増やそうなんてことをやらなければいいと思います。